天下分け目の前日に

1600年(慶長5年)9月15日

この日、関ヶ原の戦いの火ぶたが切って落とされました

まさにこれを書いている今日です(422年前ですけど)

歴史に詳しくない方でも、関ヶ原の戦いくらいは聞いたことはあるでしょう

詳しくは、ウィキペディアで見てね

 

そんな事とはつゆ知らず、

合戦開始の前の日の9月14日に行ってきました、関ヶ原

古戦場跡ですから、何も無いのは了解済み

まず最初に訪れたのは、「史蹟 關が原古戰場 開戰地」

そこから見る風景は、おそらく当時とそんなに変わっていない感じです(たぶん)

当時の戦国武将も「この風景を見てたんやなぁ」って思うと感慨深いものがありました

でもこんな悠長なこと言ってられない戦がまさに、ここから始まったんですよね

案内表示板があり、

ここから見てどのあたりに誰が布陣していたのかが、よくわかりました

 

次に訪れたのが

「史蹟 関ヶ原古戦場 決戦地」

先ほどのは、開戦地

こちらは、決戦地

要するに、はじまりとおわり

もちろんそれぞれは違う場所にあり、

バイクで5分ほどの距離にあります

 

ここで気になったのが、

それぞれの場所に立っている石碑

前の写真をよーく見て下さい

少し見づらいかもしれませんがご了承ください

「史蹟 關が原古戰場 開戰地」と「史蹟 関ヶ原古戦場 決戦地」

何か違和感ありませんか?

私は、現場についてすぐに気づきました

 

そうです、

最初の開戦地の方の、

関ヶ原の「関」の字が「關」、古戦場の「戦」の字が「戰」

もっと言えば、「開戦地」の「戦」の字がまた違ってる

もう旧字体過ぎて、パソコンでは出てこない(笑)

 

パッと見は同じような石碑なのに、

なぜここまで字体が違うのだろうか?

変なとこばかり気になるのは性分でしょうか?

最近間違い探しにハマっているからでしょうか?

 

ま、なにはともあれ

歴史ファンとしては、ぜひ一度は訪れたかった所でしたので、

大袈裟ですが、今回夢が叶いました

今は石碑以外何もない所ですが、

実際その場に立つと、いろいろ見えてくる場所でした